高校時代にお世話になっていた楽団に、先月から復帰している。
大学の頃は帰省した時にしか顔を出せず、この数年はそれも叶っていなかった。
しかし今後しばらくは環境の変化もなさそうなので、改めて身を置くことにした。

パーソナルな時間を少なからず削ってまで、そうした理由は三つ。

一つ目は、自分のフィールドを増やしたいから。
内向的な人間なので、記録にしろ創作にしろ、自分だけで完結した趣味が多い。
それらの趣味とは性質や守備範囲の異なる、新たなフィールドが欲しかった。
複数の場を持つことで、どれか一つが滞っても別の場へ避難することができる。
何もかも上手くいかずに総崩れとなるのが一番困るので、そのリスク軽減。

二つ目は、価値観の偏りを避けたいから。
人の影響を受けやすい自覚がある。テレビやネットの意見は、距離を置いて冷静に接することができるが、生身の人間が相手となると入り込みすぎてしまう。
特に今の自分は、家族と職場という狭い範囲の価値観に染まりやすい環境にある。
色々な年代・立場の人が属している楽団は、価値観の第三極として適している。

三つ目は、青春だった吹奏楽を手放すのが惜しいから。
色々と理屈を付けてきたが、結局はこれに尽きるのかもしれない。
そもそも最初に楽団に入ったのも、高校の部活で早々に挫折した後、このまま吹奏楽を手放したくないと思ったからだった。
今はそれが全てではないから、あの時ほど切迫はしていないが。

もう少し広げると、楽団との縁を手放したくないという理由になる。
自分が高校生の頃から面識のある人たちがいて、たまに顔を出すと暖かく迎えてくれる場所なんて、今さら新たに巡り合えるものでもない。
もちろん人間関係だから煩わしいことも増えるだろうし、そのうち気に入らないことも出てくるだろうが、それは先の話。またその時に天秤にかければ良い。

過去に夢中だったものを引き揚げ、今の自分を形作る一要素として取り込む。
この自分を濃縮する行為自体は、記録趣味の延長線上にあるのかもしれない。

まだまだ曇ったり天気が怪しい日もあるが、とりあえずは梅雨が明けた。
梅雨が明けたという事実だけで、随分と気分も楽になるから不思議だ。


[近況]

先週後半は少々ストレスのかかる日が続いた。
気の弱い性格を自己愛と自信家の盾で守っているので、そこにヒビが入ると脆い。
まだまだ自分のペースは簡単に崩れることが分かったので、補強しなければ。

人を見ているときは冷静に俯瞰できるのに、いざ自分のこととなるとダメな話とか。
昔から同年代の人間を苦手とする理由がようやく分かってきた話とか。
自分を複数のフィールドに分割して置くことで総崩れを避ける話とか。

いくつか書きたい話は出てきたが、どれも現時点で文章がまとまっていない。
そのうち書きあがったら、一つずつブログに上げていくつもり。


[Scrapboxの話]

5月に色々と試していたScrapboxだが、最近あまり管理できていない。
このブログの記事を置いたものと、自分用の創作設定集を作っていた。
前者は手間に見合うだけの価値が見いだせなかったので、もうやめる。
後者は保留しておくが、Scrapboxは画像を入れないと見た目が面白くない。

そして結局はEvernoteとの兼ね合いによる。
デジタル本棚やレシピ帳として使うのが良いらしいが、わざわざ分立するほどではないか。
あえてScrapboxでやるなら、ゲームリストはありかも。過去に遊んだゲームソフトを一つずつ入力して、「3DS」「未クリア」「パッケージ版」などのタグを付けて管理するとか。
暇な時間ができたら検討する、程度で。


[スプラトゥーン2の話]

正直なところ続編だし、1ほどのインパクトはないと思っていたが、侮っていた。
新モード「サーモンラン」の共闘が、めちゃくちゃ面白い。
敵のパターンと自分のブキがランダムに決まるところがポイントか。

ナワバリバトルは回線落ちが頻発して、土日はまともに遊べなかった。
しかし先ほど環境を有線に変えて解決。おかげで今はチョーシが良い。

ゼルダBotW以降はあまりゲームに触れていなかったが、今回のイカちゃんも熱中して遊べている。面白いゲームは変わらず面白いものだ、と嬉しくなる。

人は知りたがりである。
こと対象が人となると、歯止めが効かない。

学生の頃、クラスの某が僕の陰口を言っていたらしい。友人が親切にも教えてくれた。
僕はおめでたい性格だったので、まさか人に陰口を叩かれるなんて思ってもいなかった。
思ってもいなかったのだから、言われなければ知らないままで済んだのだ。

本人に届かない陰口は、存在しないも同然。ところが可視化されてしまった。
他にも同じく悪意を持っている人がいるのではないか、という疑心暗鬼。
実に不毛だが、一度知ってしまってはどうしようもない。

とても可愛らしい絵を描く人がいた。どうやらTwitterのアカウントを持っているらしい。
浮足立って見にいくと、目を背けたくなるような暴言と煽りのオンパレード。
作品の良さと作者の品位は別というが、そう簡単には割り切れない。
そうして受け付けなくなった作品が、今までいくつあっただろう。

知らなければ好きでいられた、ということは多々ある。
秘められた本音、表に出てこない真実、公言はばかる過去に悪趣味。
好きな人に対して深く知ろうと掘り進め、良からぬものを掘り当ててしまう。
残るのは失望と後悔だけ。それを繰り返すのだから経験値にもならない。

知ることの痛みは、誠意や覚悟では塞ぎきれない。

水面に浮かんでこないものを、わざわざすくい上げる必要はない。
けれど知りやすい時代だから、知らないでいるにも能動性が求められる。
時に目を閉じて耳を塞ぎ、意志を持って知覚の外に追いやらねばならない。

知らないでいることは不誠実な逃げの一手かもしれない。
でも、それで守れるものがあるなら安いものだと思う。