ブログ内で使うカテゴリとタグに関するルール作り。
見かけから入るタイプなので、こういう外枠を考える時間が好きだ。
このひと月ほど試験的に運用していたが、そろそろ整えておく。

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現在のカテゴリはこのようになっているが、以下のように変更する。

[随想]
ずいそう。考えていることを書く。ほとんどがこれに収まる予定。

[私事]
わたくしごと。そうは言ってもブログに書いてることは全て私事ではある。
随想よりも日記や回顧録に近いが、公にできる私事なので数は増えないはず。

[雑記]
ざっき。上手く振り分けられなかった記事の行き場。その他。

[ゲーム]
げーむ。本来はタグで対応すべきだが、数が多くなるので独立したカテゴリを立てる。
各ソフトに関する個別の感想も、ゲーム全般に関する考えも、まとめてここへ。

[Archives]
非公開にした記事を置く場所。

いつも枠を作り過ぎるので、今回はこのぐらいにしておく。


続いてタグ。こちらは後から記事を掘り出しやすくするための道具。
これこそ付けたい時に付けたいものを付けるべきなのだが、枠がないと息ができない。

【具体的なタグ案】
Evernote/Workflowy/Scrapbox:各ツールに関する話は個別に付ける
ブログ:自己言及
懐古:昔のこと
覚書:メモ ※カテゴリから降格
ルール:色々な定義
月のまとめ:月の終わりに更新する記事用のタグ

あまり厳密には定義せず、気軽にラベルを貼るイメージで運用する。


ところで、このブログの記事は全てEvernoteにも格納している。
「blog-九条河原の落書」とタグを付けているが、このブログ内のカテゴリやタグ情報は記録していない。
これをEvernoteのタグと連動させるなら「blogTag-〇〇」を作るしかなさそう。
しかし二度手間になるし、後から修正もかけにくい。やっぱりやめておこう。

日常を最適化していく工程は楽しい。
無駄を省き、コストを下げ、最大の効果を目指すのは、一種のゲームのよう。
この時間はこの道を通れば早い。この店でこの肉を買えば安くて美味い。
試行錯誤を繰り返すほどに、日常が最適化されていく。

ところが、いざ最適化が済んでみると、退屈な日々が始まる。
毎日毎日、同じ景色を見て、同じ食事を摂り、同じ時間を過ごす。

日常のルーチン化。
最適化が間違っていない限り無駄はないが、日に日に精神はやつれていくし、何のために日々を過ごしているのかと苦しむ羽目になる。

人は一見無駄なものからも、何かを得ているらしい。
では無駄を取り入れた上で、最適化すればどうか。
金曜日はいつもと道を変えて遠回りしてみる。
月に一度は金銭面・健康面を考慮せずに食事をしてみる。

最初の二週間は新鮮かもしれないが、結局は新たなルーチンが生まれてしまう。
得るもののない無駄を内包したルーチンは、あまりにも救いがない。
もはや何のために最適化しているのか分からなくなってしまう。

つまるところ不慮の事態、無作為それ自体が価値を持っている。
最適なルーチンから外れた場所にあり、常に予測がつかないもの。
過剰に取り入れれば最適化が壊れ、管理を試みれば価値がなくなる。
極めて扱いにくいが、なければ人生の面白味が薄れてしまうもの。

最適化した日々の中で、それに遭遇しやすいように行動を選んでいく。
そして無作為の最たるものとは、自分の枠外にいる他者なのかもしれない。

先月の東京旅行で都庁の展望台に登った。

帰りがけに下りのエレベーターを待っている時に、スタンプが置いてあるのを見つけた。
こういうものが置いてあると観光地っぽいなあと考えながら、一度は背を向けた。
しかし鞄にノートが入っていたことを思い出し、せっかくならと押しておいた。
慌てて押したので左下の文字が欠けて「京都都庁」になってしまったのだが……。

このノートは日頃から、メモ帳替わりに手元に置いているものだ。
なかなか良い手帳に巡り合えず、代用しているうちに6月になってしまった。
役に立っているかというと実はそうでもないのだが、愛着は湧いている。

愛着の湧いているノートに押されたスタンプは、よく目につく。
平坦な日常の中、非日常を体現する旅行先のスタンプは輝いて見える。
まさかこれが一番の旅の思い出になろうとは、予想していなかった。


結局のところ、普段から何度も触れることが大事なのだ。
特に思い出の類は、後から何度も触れることで価値が高まるように思う。

Evernoteのノート数は現在3922と、それなりに貯まっている。
ノート数に比例して、一つのノートが目につく確率は下がっていく。
どうにかして、蓄えてきた過去の資産を今に連結する必要がある。

先日購入したFindNoteは、そのための仕掛けだった。
白状すると初日しか使っていない。新たな習慣を作ることの難しさよ。

人は知りたがりである。
こと対象が人となると、歯止めが効かない。

学生の頃、クラスの某が僕の陰口を言っていたらしい。友人が親切にも教えてくれた。
僕はおめでたい性格だったので、まさか人に陰口を叩かれるなんて思ってもいなかった。
思ってもいなかったのだから、言われなければ知らないままで済んだのだ。

本人に届かない陰口は、存在しないも同然。ところが可視化されてしまった。
他にも同じく悪意を持っている人がいるのではないか、という疑心暗鬼。
実に不毛だが、一度知ってしまってはどうしようもない。

とても可愛らしい絵を描く人がいた。どうやらTwitterのアカウントを持っているらしい。
浮足立って見にいくと、目を背けたくなるような暴言と煽りのオンパレード。
作品の良さと作者の品位は別というが、そう簡単には割り切れない。
そうして受け付けなくなった作品が、今までいくつあっただろう。

知らなければ好きでいられた、ということは多々ある。
秘められた本音、表に出てこない真実、公言はばかる過去に悪趣味。
好きな人に対して深く知ろうと掘り進め、良からぬものを掘り当ててしまう。
残るのは失望と後悔だけ。それを繰り返すのだから経験値にもならない。

知ることの痛みは、誠意や覚悟では塞ぎきれない。

水面に浮かんでこないものを、わざわざすくい上げる必要はない。
けれど知りやすい時代だから、知らないでいるにも能動性が求められる。
時に目を閉じて耳を塞ぎ、意志を持って知覚の外に追いやらねばならない。

知らないでいることは不誠実な逃げの一手かもしれない。
でも、それで守れるものがあるなら安いものだと思う。

昨晩、寝る前に見た朧月が明るくて綺麗だった。

それを日記に付け加えようとして、スマホからEvernoteを開いた。
ノートは更新順に並べているので、17/06/08(木)の日記にはすぐアクセスできる。
そのはずだったが、昨日は違った。いつもは見慣れないノートが並んでいる。
アプリの更新があったためか、ノートの並びがタイトル順になっていたのだ。

一番上に配置されたノートは、昔書いた小説の没ネタを詰め込んだものだった。
タイトルだけでは具体的な中身も、どのノートブックに振り分けたかも、ぴんとこない。
すっかり忘却の彼方にあったわけだが、こういうノートほど読み返すのが面白い。


記録を貯蔵するだけではもったいないと、以前から考えてはいた。
意識的に残したメモは引っ張り出すことも多いが、取り留めもなく書いた日記なんかは、ほとんど書いたきりになっている。
それこそ昨夜のように偶発的に発掘されない限り、格納されたままだ。

そこで表題。
Evernoteのノートをランダムに表示する方法があると面白そう。
手動だと無意識的な好みや癖に左右されそうだから、ランダムが良い。

残念ながら公式にその機能はないが、アプリがいくつか見つかった。

EverShaker ※配信停止
FindNote(iOS)
Reflect for Evernote(iOS)
QuickDigger(Android)

EverShakerは紹介記事も多いが、現時点では配信が停止している。
FindNoteはノート検索アプリで、数日前のアプデでランダム検索がついたらしい。
Reflectは無料だが英語アプリなのでちょっと扱いづらい。
iPhone持ちなのでQuickDiggerは除外。

そういうわけでFindNoteを買ってみた。
ノート検索については文句なし。「Evernoteアプリで開く」も大変便利。
本命のランダム検索は、スタックでの絞り込みが上手くいかない。
あとノートブックを複数選んでランダム検索できたら良いなあ。

しばらく意識的に使っていく予定。