このブログの開設日はいつになるのだろう。

最古の記事は2006年まで遡ることになるが、今年で開設11周年だと書くのは抵抗がある。
11年前とはこのブログの扱い方がまったく違っている。当時と共通しているのは、アドレスとブログ名ぐらい(最初期はブログの名前も違っていた)。

今の形が確立したのは今年の5月あたりから。
現時点で記事を古い順に並び替えると、2016/10/12という日付が一番上にくる。
今や遠い昔のように感じるが、この時に2015年以前の記事は非公開とし、心機一転として再スタートを切った。

当時掲げた「twitterとは両輪で互いに補い合える形に持っていく」という目標は、補うというよりは使い分ける形に落ち着いたが、概ね達成できた。
このブログがなくなっても困るほどではないが、書きたい時に書ける場所があるのはありがたい。ほとんど機能停止していた時期を考えれば、良い状況にある。

ここが一つの区切りとなるのは間違いない。便宜上2016/10/12を二度目の開設日と決める。
数年後にまたしても心機一転する可能性はあるが、今現在の考えを基に、このブログは改築一周年を迎えた。そういうことにしておこう。


自分の本丸はどこにあるのか、と考えることが多い。
小学生までは「家」だった。家の周りには「近所」があり、その先に「学校」があった。
中学生になると学校が楽しくなり、細かく書けば「部室」「図書室」「教室」だった。
この頃から本格的に「日記」を書き始め、ここで初めて自分の手綱を握ったのだと思う。
自分が自分のために、目に見える形で残し始めた記録は、2006年に「ブログ」になり、2010年に「Twitter」になり、2016年からは「Evernote」中心に回っている。

趣味や仕事や交友は、自分を形作るものではあるが、自分の根幹となるものではない。
しかし誰に宛てるでもない表出(適した言葉が思いつかない)は、Evernoteに綴じている自分自身に最も近い。

思いつきが思いつきで終わることも多い中、このブログが一年続いたことは素直に嬉しい。
まずは一年。そして明日からは、次の一年が始まる。

たとえば何かに触れて、絶賛したい気持ちになったとする。
同じ感想を持っている人を探し、皆が褒めちぎっているのを見て満足する。
しかし十人十色、中には否定的なコメントを書いている人もいる。
肯定的なコメントが大多数でも、印象に残るのは否定的な方で、微妙な不快感が残る。

ならば自分が全肯定してみようとすると、これが非常に難しいことに気づく。
完璧なものは存在しないから、難癖を付けようと思えばいくらでも付けられる。
けれど具体的に褒めようとすると、貶すよりも遥かに手間と時間がかかる。
否定の方が言語化しやすい、といえるのかもしれない。

つまり、否定的な物言いは発しやすく目に付きやすい。
世の中にネガティブな主張や感情が蔓延するのも当然、と暗い気持ちになる。


個人の考えは異なるので、他人を侵害しない限りは否定も自由だと思う。
ただし「否定は発しやすく目に付きやすい」という事実は覚えておいた方が良い。

少なくとも自分が好きなもの、応援したいものについては、補正をかけて肯定するぐらいがちょうど良いように思える。
細かいケチを付けたくなっても、わざわざ外に向けて発する必要はない。
自分ではちょっとした不満を書いたつもりでも、何も知らない第三者に強い負のイメージを与え、興味を失わせることになりかねない。
そもそも自分が言いたくなるようなことは、既に他の誰かが言っていることが多い。

最近は肯定的な物言いを心がけ、否定したくなった時は黙ることにしている。
意識して改めて思うが、人間が否定したがる性質を持っているのは間違いない。
これも人間の欠陥だと思うが、理性でしっかりと制御していきたい。


今月もあっという間だったと言いたいところだが、何だかんだで9月は長かったように感じる。中旬までは早かったけれど。
例年よりも残暑を感じなくて、素直に秋の涼しさを感じる日が多かった。

記事の振り返り。1日の記事を書いたのは随分昔に感じる。今週はスープ作りをサボっていたので、読み直してぎくりとした。
5日と13日の記事は、どちらも昔を懐かしむもの。世界樹シリーズは一度振り返ってみたいと思っていたので、書けて良かった。
20日の記事は創作について、今月は世界樹の創作にエネルギーを使っていたが、途中で煮詰まっていた時に書いた記事。とんでもなくコスパの悪い趣味であることは間違いないので、楽しいと思える範囲で続けていきたい。
25日はEvernoteについて。乗り換え先がないことは以前から不安ではあったが。chromeでノートが表示されないバグは相変わらず。
27日の記事は、構想自体は以前からあったが、もう少し冷静な時に書くべきだった。感情に任せて書くのもログとしてはありだが、外に出す必要はない。

ゲーム事情。8月下旬から遊んでいた幻影異聞録をクリアした。Switch版MHXXとセカダン2を放り投げて買ったのは正解だったと思う。明るい作風に楽しいシステム、全体的に真摯な作りに大満足した。ようやくエンディングの余韻も抜けてきたところ。
続いて、序盤でうろうろしているVCポケモン銀も進めたいところだが、結局セカダン2を買ってしまった。テキストなど色々と言われているが、第4迷宮時点では楽しさが勝っている。
先日28日に発売したFE無双も気になっているし、10月にはマリオオデッセイも来るし、なかなか忙しい。

手が回らなくなってきているのは、創作に時間を割いているからかもしれない。世界樹2の自ギルド小説を書き始めており、暇を見ては構想を練ったり資料を漁ったり。
2009年に世界樹2を遊んだ時から、いつか長編を形にしたいと思っていたので、念願叶ったといえる。まだ1話しか書けていないけど。
長編を今まで一度も完結させたことがないから、これは頑張りたい。

嫌いなものの話をしても無益だが、たまには。

昔から同年代・同世代の人間が苦手だ。近くに同世代の人間が存在すると、危機感と警戒心が強まる。
よく同世代間はコミュニケーションが取りやすいという。たしかにジェネレーションギャップを考えれば、同年代の人間の方が共通の話題を持てるような気はするが、そもそも守備範囲が狭いので恩恵を感じたことがない。
実際は大目に見てくれる年上か、こちらが配慮するしかない年下の方が、相手をする上で気が楽だ。

最近、同世代を嫌う理由に思い当たった。
「比較対象になるから」である。

同世代の彼ないし彼女を通して、自分という人間が相対化され、弱みを感じる。
何をもって優劣を決めているのかは定かではないが、基本的に自分が苦手とする分野で比べ、打ちひしがれることが多いように思う。
自分が優れている点よりも劣っている点に注目してしまうのは何故なのか。

自分は幸せ者だと自負しているが、それは確信するほどではない。
比較対象がいると、その自己暗示にヒビが入りやすい。
自己肯定感だけでストレスを防いでいる身にとっては、天敵に等しい。


完全に比較対象を失うと、独自路線を走って戻れなくなるかもしれない。
何事も中庸が大切。適度に立ち位置を見直すことは必要ではある……。

が、それはそれとして同世代は嫌いだ。
理屈が分かったところで、改善されるわけでもするつもりもないのだから、やはりこの話は無益だった。

Evernoteはweb版の旧デザインを使っている。
先週の水曜(20日)から、中央のノート一覧が表示されない事態に。

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ノートブックを移動しても、全てのノート表示にしても変化はない。これではノートにアクセスできず、全く使い物にならない。
新デザインに切り替えると表示されるものの、このデザインだとノートブック一覧を固定できず使いにくい。
仕方なくこの数日間はWindows版を使っていたが、これも慣れない。web版に比べて動作が重く、いちいちストレスが溜まってしまう。

何とか元の状態で使えないかと調べていると、Chromeで表示にバグが起こるというツイートを見かけた。
試しにFirefoxで開くと、きちんと表示される。やはりChromeとの相性によるものらしい。


Evernoteは第二の脳であり、自己の根幹を成す場所でもある。
現状を百年維持してくれるなら、百年使うつもりではあるが、恐らくそうはいかない。
何の前触れもなく上記のようなトラブルが起こるし、不利な仕様変更もありうる。
自分の場合は旧デザインが使えなくなるだけで、致命傷を受けてしまうわけだし。

単に保管庫として使いたい身からすれば、Evernote社がワークスペースを目指す方針を持っていることも心配。
正直なところ、先行きにかなりの不安を覚えている。

一番困っているのは、Evernoteの代替サービスが見当たらないこと。
Workflowyに対するDynalistのように、Evernoteに対する何かが出てきてくれれば、いざという時に乗り換えられる師、Evernoteの改善も見込める。
とはいえ、今は他に扱いやすい保管庫が見当たらないので、黙って耐えるしかない。

いっそ画像やwebクリップを投げ捨てて、テキストデータだけを扱うようにすれば、選択肢は増えそうではあるが……。