高校時代にブログを書いていた。
内容は日常の出来事、自分なりの考え、趣味の話、愚痴、詩、エトセトラ。
受験期までは毎日更新していた覚えがあるし、一日に数回更新する日もあった。

よくそれだけの手間をかけたし、それだけの時間があったものだと感心する。
当時、ブログ更新を苦しく思った記憶は、あまりない。これは「高校生活がそんなに楽しくなかったから」という身も蓋もない事情があるように思う。
何かと不満を抱えている時の方が、文章を書きたくなるもので。
高校での生活は良くはなかったが、ブログを更新していた高校時代は悪くなかった。


そのブログも、高校を卒業して二年後に閉じてしまった。
閉鎖前にローカル環境に保存はしたものの、当時のやり方がまずかったのか、簡単に開ける形式ではない。手軽に記事を探したり、読み返すことはできない状態となっている。

ブログ最大の弊害は、この時期の日記が丸々抜けてしまっていることに尽きる。
中学時代にはWordで日記を書いていたが、高校時代はブログが日記代わりだった。
ブログを閉じた後はTwitterもあるし、日記をつける習慣を復活させている。

デジタルの日記をEvernoteに移して並べると、ブログ時代がすっぽり抜けてしまっている。
失われた五年の空白期。Evernoteには一切データがないし、幼少期のような印象に残る記憶もない。特に何も存在しなかった時期。


しかしブログのデータは残っているのだから、この一時期だけ抜けているのも面白くない。
苦労の末にデータをEvernoteに移す手順を固めて、気が向いた時に少しずつ移している。
当時の自分が精魂込めて残したのは1277記事。全て移すのは現実的なことではないが。

この移行作業を通して、ようやく当時のブログ記事に目を通す機会を得た。

特に何も印象に残らない空白の五年間……そんなわけがなかった。
過去の自分が残した文章は、稚拙で痛々しいけれど、生の感情を伝えてくる。
この五年間もちゃんと生きていたんだと、当たり前のことに気づく。

十代後半の多感な頃に、思いつく限りのことを書いて残している。
今になってみれば貴重だし、あれだけ手間と時間をかけた甲斐があったというもの。

単なる過去の振り返りには留まらない。
Evernote上で、十年前に書いた日記と、今日書いた日記が並んでいる。
その様子を見て、全部つながっているのだと感動してしまった。

人に歴史あり。今ここにいる自分は、急に降って湧いた存在ではない。
しょうもないことに笑って泣いて、その時その時を生きてきて。
地続きの最先端に今の自分が立っている。それは誰にも否定できない。

当時の自分は先のことなど考えず、当時を生きるためにブログを書いていただけ。
それが時を経て、今の自分を肯定してくれたように感じられた。
何のためにログを残すのか。また一つ答えを見つけたかもしれない。

この半年ほど、朝はポタージュを飲むのが習慣になっていた。
土日に近くのスーパーで買い溜めして、一つずつ消費していく毎日。

冬はそれで良かったものの、夏はさすがに重たく感じてきた。
また特定の食品を食べ続けていると、さすがに品質表示も気になってくる。
しかし他に量と値段の合った洋風スープもなく困っていた。

そんなことを話していると、自分で作れば良いということになり。
晩に人参と玉ねぎを刻んでコンソメの素を入れただけのスープを作り、翌朝トーストのお供にしてみた。これがなかなか良い。
手間はかかるものの、味や具材は自分で調整できるし、市販のスープよりは健康的。
ただし手間はかかるので、完全に習慣にするのではなく、市販品と使い分けていくつもり。


高校時代の英語教師が「添加物が怖いなら一つの食べ物に偏るな」と話していた。
気にしてもきりがないが、色々な食べ物を選ぶことでリスクを分散できるという考え。

これはきっと食べ物以外にも当てはまる。
どんなものにも弱みや間違いは存在していて、完璧なものは存在しない。
何か一つに依存することは、それが持つデメリットを自分が抱え込んでしまうことに繋がる。

そして一つのものに依存しないためにも、効率化は程々にしておくべきか。
無駄なく最効率を求めると、パターン化・ルーチン化に陥ってしまう。

自分なりの最適解から、あえて外れる勇気を持つ。
一つ目の選択肢より劣る、二つ目や三つ目の選択肢も使ってみる。
必ずしも快適とは限らないが、その遊びに救われるかもしれない。

Evernoteを使い始める以前に残したログがある。
中学時代の日記であり、高校時代のブログであり、大学時代のツイート。
これらも自分史の一ページ。検索の網にかかるようにしたいので、暇がある時にはEvernoteに取り込むようにしている。

しかしこの作業、ものすごく進みが悪い。
物理的な手間と時間がかかる上に、中身が目に入るのが辛い。

過去の文章を読み返していると、あまりの稚拙さに目を覆いたくなる。
現在から乖離したログほど新鮮で面白いのは確かだし、当時の興味や感性を再発見することも多いが、それはそれとして触れるのに体力がいる。
暇とモチベーションが有り余っている時にしか進まない作業なので、全てのログを移行するのは現実的ではなさそう。


文章の賞味期限は、だいたい三年が限度だと感じる。

たとえば2010年から今まで続いているTwitterにしても、遡って2014年あたりのツイートはまだ読めるが、2013年以前となると恥ずかしくなってくる。
文体、言葉の選び方、テンションの差。何もかも別人が書いているように見える。

もちろん三年毎に区切りが生じるのではない。グラデーション状に変化していく中で、現在と離れるほど差異が広がっていって、それが一定ラインを超えるのが三年というイメージ。


三年という感覚は、結構前から持っていた。
この頃は2012年あたりのツイートまでは平然と読めた覚えがある。


高校時代にブログを書いていた頃は、十年続けるのだと息巻いていた。
実際は五年目にして閉鎖。Twitterの使い勝手が良すぎたこともあるが、閉じた直接の理由は、昔の文章が見るに堪えなかったから。

仮にTwitterが存在していなかったとしても、十年続けることは難しかったと思う。
十代にとっての五年はあまりにも長い時間で、環境も、趣味も、交友関係も、何もかもが変化していってしまう。そんな中で同じペースを維持できるかというと……。

しかし、賞味期限は徐々に伸びていくのではないかと思っている。
成長や変化が緩やかになり、三年が五年、五年が十年に。
それならば今こそ、今度こそ十年続くブログを書けるのかもしれない。


……と、ブログの話で締めようとしたが、途中で気づいた。
この賞味期限は、文章ではなく人格にかかっているのかもしれない。
三年前の文章に抵抗を覚えるのは、三年前の自分が他人に近いから。

だとすると、変化のスパンが長くなることを素直に受け止めて良いものか。
定着したと喜ぶべきなのか、停滞したと嘆くべきなのか。

高校時代にお世話になっていた楽団に、先月から復帰している。
大学の頃は帰省した時にしか顔を出せず、この数年はそれも叶っていなかった。
しかし今後しばらくは環境の変化もなさそうなので、改めて身を置くことにした。

パーソナルな時間を少なからず削ってまで、そうした理由は三つ。

一つ目は、自分のフィールドを増やしたいから。
内向的な人間なので、記録にしろ創作にしろ、自分だけで完結した趣味が多い。
それらの趣味とは性質や守備範囲の異なる、新たなフィールドが欲しかった。
複数の場を持つことで、どれか一つが滞っても別の場へ避難することができる。
何もかも上手くいかずに総崩れとなるのが一番困るので、そのリスク軽減。

二つ目は、価値観の偏りを避けたいから。
人の影響を受けやすい自覚がある。テレビやネットの意見は、距離を置いて冷静に接することができるが、生身の人間が相手となると入り込みすぎてしまう。
特に今の自分は、家族と職場という狭い範囲の価値観に染まりやすい環境にある。
色々な年代・立場の人が属している楽団は、価値観の第三極として適している。

三つ目は、青春だった吹奏楽を手放すのが惜しいから。
色々と理屈を付けてきたが、結局はこれに尽きるのかもしれない。
そもそも最初に楽団に入ったのも、高校の部活で早々に挫折した後、このまま吹奏楽を手放したくないと思ったからだった。
今はそれが全てではないから、あの時ほど切迫はしていないが。

もう少し広げると、楽団との縁を手放したくないという理由になる。
自分が高校生の頃から面識のある人たちがいて、たまに顔を出すと暖かく迎えてくれる場所なんて、今さら新たに巡り合えるものでもない。
もちろん人間関係だから煩わしいことも増えるだろうし、そのうち気に入らないことも出てくるだろうが、それは先の話。またその時に天秤にかければ良い。

過去に夢中だったものを引き揚げ、今の自分を形作る一要素として取り込む。
この自分を濃縮する行為自体は、記録趣味の延長線上にあるのかもしれない。

まだまだ曇ったり天気が怪しい日もあるが、とりあえずは梅雨が明けた。
梅雨が明けたという事実だけで、随分と気分も楽になるから不思議だ。


[近況]

先週後半は少々ストレスのかかる日が続いた。
気の弱い性格を自己愛と自信家の盾で守っているので、そこにヒビが入ると脆い。
まだまだ自分のペースは簡単に崩れることが分かったので、補強しなければ。

人を見ているときは冷静に俯瞰できるのに、いざ自分のこととなるとダメな話とか。
昔から同年代の人間を苦手とする理由がようやく分かってきた話とか。
自分を複数のフィールドに分割して置くことで総崩れを避ける話とか。

いくつか書きたい話は出てきたが、どれも現時点で文章がまとまっていない。
そのうち書きあがったら、一つずつブログに上げていくつもり。


[Scrapboxの話]

5月に色々と試していたScrapboxだが、最近あまり管理できていない。
このブログの記事を置いたものと、自分用の創作設定集を作っていた。
前者は手間に見合うだけの価値が見いだせなかったので、もうやめる。
後者は保留しておくが、Scrapboxは画像を入れないと見た目が面白くない。

そして結局はEvernoteとの兼ね合いによる。
デジタル本棚やレシピ帳として使うのが良いらしいが、わざわざ分立するほどではないか。
あえてScrapboxでやるなら、ゲームリストはありかも。過去に遊んだゲームソフトを一つずつ入力して、「3DS」「未クリア」「パッケージ版」などのタグを付けて管理するとか。
暇な時間ができたら検討する、程度で。


[スプラトゥーン2の話]

正直なところ続編だし、1ほどのインパクトはないと思っていたが、侮っていた。
新モード「サーモンラン」の共闘が、めちゃくちゃ面白い。
敵のパターンと自分のブキがランダムに決まるところがポイントか。

ナワバリバトルは回線落ちが頻発して、土日はまともに遊べなかった。
しかし先ほど環境を有線に変えて解決。おかげで今はチョーシが良い。

ゼルダBotW以降はあまりゲームに触れていなかったが、今回のイカちゃんも熱中して遊べている。面白いゲームは変わらず面白いものだ、と嬉しくなる。