今月も記事の数が少なく、ほとんど週一更新になっていた。


8月になった話をしたばかりなのに、もう8月を振り返ることになるとは。
青空がどうのこうのと書いた覚えがあるが、今年の夏は天気が崩れっぱなしで、梅雨の延長になっている。朝は晴れていても、昼から曇ってくるようなパターンが多い。
湿度も高いが、日中はクーラーがあるから関係ない。なんて気楽に構えていたら、まさかの故障という憂き目に遭い、久しぶりにうちわを手放せない日が続いた。

楽団の方は変わりない。練習のたびに手首がじんわり痛くなるが、週一ならこんなもの。
今はシロフォンの曲集を探しているが、なかなか良いものが見つからないところ。

ガチャ課金の話は、あれだけ書いた後で初めてガチャに課金するというオチを付けてしまった。何がガチャに課金しない理由か、と言いたくなる。
思い入れのあるキャラクターが優秀な性能で実装されたのが原因。出なかったけど。
一度でも課金すると癖になるかもしれないので、一応ぎりぎりまで悩んだ。記事にも書いた「確実にリターンが得られるとは限らない」に加えて、「単価の高さ」も心理的ハードルになった。……そのハードルを越えて課金したから言い訳のしようもないけど!
それにしてもFEHは1/2周年でイベント盛り沢山、さらに上旬~中旬は聖魔の光石、下旬は幻影異聞録を遊んでいるから、今年はFEの夏だったと言い切って良い。

文章の賞味期限の話は、2015年のツイートを引用した通り、以前から考えていたこと。
満を持して書き始めたら、途中で新しい気づきがあって、最後に脱線してしまった。
あまりアイデアを寝かさずに、思いついたその時に書いてしまう方が良いのだろうか。
それはそれで粗が多くなりそうではある。

Workflowyの記事は、書いた日の夜にEvernoteに接続できないエラーが重なり、ますますクラウド保存に猜疑心を持つようになった。
100%の安全は確保できないとしても、ローカルにもバックアップを取っておかないと、怖くて仕方がない。


記事の数が少ないから全部拾ったら、あとがき集みたいな記事になったな。
来月以降も記事の数が突然増えることはないだろうし、この形を踏襲していく。

今日、Workflowyが一時的に繋がらなかった。
このまま回復しなかったらどうしよう、と不安がよぎった。便利だからと一つのものに依存していると、それが断たれた時に慌てふためくことになると改めて実感する。

Workflowyには、主に創作のアイデアやプロットを置いている。
ちょくちょく開いては思いつきを書き足して、という使い方をしており、毎日のように景色が変わる場所となっている。

以前は別の場に置いていたものも、Workflowyに集約した。
それこそ高校時代に携帯電話のメモ帳に打っていたようなネタも引っ張ってきているので、今では十年分のアイデアが乗った作業机となっている。

編集頻度が高い分、同じものが複数の場にあると競合しやすいため、Workflowyにしか置いていないデータは非常に多い。
だから、ここが焼け落ちてしまうと大変な痛手となる。


クラウド保存は、どうしてもサービスが停止する可能性を捨てきれない。
結局のところ一番安心できるのはローカル保存だが、利便性に劣る。
それもパソコンが壊れたら終わりだから、データ自体に信用が置けない話になるが……。

もし突然Workflowyのデータが消えてしまったらどうなるか。
Pro(有料版)ならDropboxへのバックアップ機能があるらしい。
無料版だと毎日変更箇所がメールで送られてくるが、これを使って復旧するのは難しい。
要するにテキストデータなのだから、手間をかければ管理できそうだが。

と思いながら調べていたら、「Dynalist」なるアウトライナーを見つけた。
Workflowyを意識した作りで、無料でもトピック無制限&バックアップ機能あり。
Workflowyからの引っ越し機能も用意されているらしいので、ちょっと試してみる。

Evernoteを使い始める以前に残したログがある。
中学時代の日記であり、高校時代のブログであり、大学時代のツイート。
これらも自分史の一ページ。検索の網にかかるようにしたいので、暇がある時にはEvernoteに取り込むようにしている。

しかしこの作業、ものすごく進みが悪い。
物理的な手間と時間がかかる上に、中身が目に入るのが辛い。

過去の文章を読み返していると、あまりの稚拙さに目を覆いたくなる。
現在から乖離したログほど新鮮で面白いのは確かだし、当時の興味や感性を再発見することも多いが、それはそれとして触れるのに体力がいる。
暇とモチベーションが有り余っている時にしか進まない作業なので、全てのログを移行するのは現実的ではなさそう。


文章の賞味期限は、だいたい三年が限度だと感じる。

たとえば2010年から今まで続いているTwitterにしても、遡って2014年あたりのツイートはまだ読めるが、2013年以前となると恥ずかしくなってくる。
文体、言葉の選び方、テンションの差。何もかも別人が書いているように見える。

もちろん三年毎に区切りが生じるのではない。グラデーション状に変化していく中で、現在と離れるほど差異が広がっていって、それが一定ラインを超えるのが三年というイメージ。


三年という感覚は、結構前から持っていた。
この頃は2012年あたりのツイートまでは平然と読めた覚えがある。


高校時代にブログを書いていた頃は、十年続けるのだと息巻いていた。
実際は五年目にして閉鎖。Twitterの使い勝手が良すぎたこともあるが、閉じた直接の理由は、昔の文章が見るに堪えなかったから。

仮にTwitterが存在していなかったとしても、十年続けることは難しかったと思う。
十代にとっての五年はあまりにも長い時間で、環境も、趣味も、交友関係も、何もかもが変化していってしまう。そんな中で同じペースを維持できるかというと……。

しかし、賞味期限は徐々に伸びていくのではないかと思っている。
成長や変化が緩やかになり、三年が五年、五年が十年に。
それならば今こそ、今度こそ十年続くブログを書けるのかもしれない。


……と、ブログの話で締めようとしたが、途中で気づいた。
この賞味期限は、文章ではなく人格にかかっているのかもしれない。
三年前の文章に抵抗を覚えるのは、三年前の自分が他人に近いから。

だとすると、変化のスパンが長くなることを素直に受け止めて良いものか。
定着したと喜ぶべきなのか、停滞したと嘆くべきなのか。

お盆が明けたら8月が半分終わっていた。早いなんてものではない。
そりゃ夏休みの宿題が夏休みの間に終わるわけがない、と改めて思う。


最近はすっかり家庭用ゲームが重く感じられてならない。
やり込み要素どころか、エンディングまでたどり着くのがやっと。
プレイ時間のかかるゲームが増えたからと思っていたが、小粒のDLソフトですら重く感じるのは、クリアすることに執着しすぎているのか。

よく言い訳に使うのは時間だが、体感的には飽きが早くなったように思える。
年を取るごとに目新しさがなくなるのは当然だが、少々寂しいところ。
もちろん、中にはゼルダBotWのような大当たりもあるのだけど。

一方で、「日常生活」「習慣」のカテゴリに入っているスマホゲーは、気軽に遊べて良い。

2013年から遊んでいるチェンクロは、ついに4年目に突入した。
常に熱心に遊んでいるわけではないが、それでも家庭用ゲームで4年も遊び続けたものがあったかというと、思い当たらない。
配信から半年が経つFEHも、アプデのたびに遊びやすくなるのが嬉しい。

パズドラブームの頃は、まだスマホゲーを下に見ていた記憶があるが、それも昔の話。
スマホゲーが家庭用ゲームに比べて質に劣るとは思わなくなった。


しかし見方が変わっても、相変わらずスマホゲーに課金する気にはなれない。
Switchとゼルダとイカは即決で買うし、DLソフトやDLCにも抵抗のない人間なので、ゲームやデータにお金を云々という理由ではない。
自分でも何が心理的ハードルになっているか気になったので、一つずつ考えてみた。

1.確実にリターンが得られるとは限らない
いきなり本命の理由。課金に見合ったリターンが確約されていないのが怖い。
持ち物の枠上限を広げたり、確実に特定の何かが手に入ったりするなら、あまり抵抗がない。ポケモンGOにあっさり課金したのは、それがガチャではなかったからだと思う。
大量の石を買ってガチャに注ぎこむのは、もはや金持ちの道楽だと思う。
ちなみに福袋も同じ理由で買わない派。

2.環境が更新され続ける
買い切りとは違い、アップデートを繰り返すスマホゲーの宿命。
その時に一番強いキャラを手に入れても、後から簡単に手に入れられるようになったり、インフレで型落ちとなってしまうかもしれない。
ネトゲへの課金にも抵抗を覚える理由も、これと同じと思われる。

3.サービスが永続ではない
ゲームクリアではなく、サービス停止という明確な終わりがある。
サービスが停止されてしまえば、そのゲームはどうやっても遊ぶことができなくなる。
とはいえ家庭用ゲームも、オンラインサービスが打ち切られたら遊べなくなるソフトは多いし、今やスマホゲーやネトゲに限った話ではないか。

4.ある程度は無料で遊べる
実はこれが一番大きいのではないかと考えている。
スマホゲーは無課金プレイでも、家庭用ゲームの体験版とは比較にならない範囲を自由に遊べるし、課金アイテムである石がゲーム内で配布される。
あれも冷静に換算したらものすごい金額になるわけで、逆に課金を抑制している。もし石が一切配布されなければ、課金していたかもしれない……と逆転の発想。
基本無料アイテム課金形式の方が、お金を出す人が多いのは分かるんだけども。

SwitchのゲームはSwitchがなければ一切遊ぶことはできないし、ゼルダやイカはソフトを買わなければ一切遊ぶことはできない。
ここでSwitchやゼルダを買うのは、0を1にする買い物なので、欲しいと思ったら躊躇はない。

一方で無課金でも遊べるゲームにお金をつぎ込むのは、1を10や100にする買い物。
こういう買い物全般に対して、僕はお金を出し渋る傾向にあるらしい。
遊びを便利にするDLCやプロコンに対して、値段相応の価値を感じていたとしても、最初にソフトを買う時よりは心理的ハードルが高くなってくる。なくても遊べるから、と。
これはゲームに限った話ではなく、日用品や家電にも同じことが言える。

それにしても。基本的に財布の紐は固い方だと自覚していたが、それは「1を10にする買い物」に限った話なのかもしれない。
この先もガチャやギャンブルに入れ込んで破産することはないと思うが、「0を1にする買い物」においては、即決して失敗することも少なくない。反省。

高校時代にお世話になっていた楽団に、先月から復帰している。
大学の頃は帰省した時にしか顔を出せず、この数年はそれも叶っていなかった。
しかし今後しばらくは環境の変化もなさそうなので、改めて身を置くことにした。

パーソナルな時間を少なからず削ってまで、そうした理由は三つ。

一つ目は、自分のフィールドを増やしたいから。
内向的な人間なので、記録にしろ創作にしろ、自分だけで完結した趣味が多い。
それらの趣味とは性質や守備範囲の異なる、新たなフィールドが欲しかった。
複数の場を持つことで、どれか一つが滞っても別の場へ避難することができる。
何もかも上手くいかずに総崩れとなるのが一番困るので、そのリスク軽減。

二つ目は、価値観の偏りを避けたいから。
人の影響を受けやすい自覚がある。テレビやネットの意見は、距離を置いて冷静に接することができるが、生身の人間が相手となると入り込みすぎてしまう。
特に今の自分は、家族と職場という狭い範囲の価値観に染まりやすい環境にある。
色々な年代・立場の人が属している楽団は、価値観の第三極として適している。

三つ目は、青春だった吹奏楽を手放すのが惜しいから。
色々と理屈を付けてきたが、結局はこれに尽きるのかもしれない。
そもそも最初に楽団に入ったのも、高校の部活で早々に挫折した後、このまま吹奏楽を手放したくないと思ったからだった。
今はそれが全てではないから、あの時ほど切迫はしていないが。

もう少し広げると、楽団との縁を手放したくないという理由になる。
自分が高校生の頃から面識のある人たちがいて、たまに顔を出すと暖かく迎えてくれる場所なんて、今さら新たに巡り合えるものでもない。
もちろん人間関係だから煩わしいことも増えるだろうし、そのうち気に入らないことも出てくるだろうが、それは先の話。またその時に天秤にかければ良い。

過去に夢中だったものを引き揚げ、今の自分を形作る一要素として取り込む。
この自分を濃縮する行為自体は、記録趣味の延長線上にあるのかもしれない。

今日は陽射しが目に痛いほどの晴天だった。
梅雨明け後も、降るのか降らないのか分からない曇り空が続いていたから、今日ほどすっきりとした天気も久しぶり。

夏が好きだ。それと同じぐらい、春と秋と冬も好きだ。
昔は環境が変わる年度替わりが苦手だったし、今でも花粉と梅雨には弱い。
それでも四季の風情を感じられる瞬間が好きで、そのために生きている節がある。

8月といえば空は高く雲は白く、山と海のレジャーに、花火が舞う祭り。
自分が進んで出かけるわけではないが、この真夏の明るい雰囲気は好き。
世間が活発に遊んでいるという空気感が良いのかもしれない。

そして夏の終わりに世間の熱狂が冷めていく、あの切なさ。
実際は長らく残暑が続くとはいえ、朝晩は確実に冷え込んでいく。
桜は散り際が美しいように、夏も終わり際が特に情緒的で良い。


と、8月になったばかりなのに、終わりの話までしてしまった。
既に陽が沈む時間は日に日に短くなりつつあることだし、この夏もあっという間に過ぎていくのだと思う。

今月は特にストレスのかかる展開はないので安心している。
適度に空を見上げ、蝉の声を聴き、ビールを飲んで過ごしていきたい。