人は知りたがりである。
こと対象が人となると、歯止めが効かない。

学生の頃、クラスの某が僕の陰口を言っていたらしい。友人が親切にも教えてくれた。
僕はおめでたい性格だったので、まさか人に陰口を叩かれるなんて思ってもいなかった。
思ってもいなかったのだから、言われなければ知らないままで済んだのだ。

本人に届かない陰口は、存在しないも同然。ところが可視化されてしまった。
他にも同じく悪意を持っている人がいるのではないか、という疑心暗鬼。
実に不毛だが、一度知ってしまってはどうしようもない。

とても可愛らしい絵を描く人がいた。どうやらTwitterのアカウントを持っているらしい。
浮足立って見にいくと、目を背けたくなるような暴言と煽りのオンパレード。
作品の良さと作者の品位は別というが、そう簡単には割り切れない。
そうして受け付けなくなった作品が、今までいくつあっただろう。

知らなければ好きでいられた、ということは多々ある。
秘められた本音、表に出てこない真実、公言はばかる過去に悪趣味。
好きな人に対して深く知ろうと掘り進め、良からぬものを掘り当ててしまう。
残るのは失望と後悔だけ。それを繰り返すのだから経験値にもならない。

知ることの痛みは、誠意や覚悟では塞ぎきれない。

水面に浮かんでこないものを、わざわざすくい上げる必要はない。
けれど知りやすい時代だから、知らないでいるにも能動性が求められる。
時に目を閉じて耳を塞ぎ、意志を持って知覚の外に追いやらねばならない。

知らないでいることは不誠実な逃げの一手かもしれない。
でも、それで守れるものがあるなら安いものだと思う。

思い出との接触面

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