日常を最適化していく工程は楽しい。
無駄を省き、コストを下げ、最大の効果を目指すのは、一種のゲームのよう。
この時間はこの道を通れば早い。この店でこの肉を買えば安くて美味い。
試行錯誤を繰り返すほどに、日常が最適化されていく。

ところが、いざ最適化が済んでみると、退屈な日々が始まる。
毎日毎日、同じ景色を見て、同じ食事を摂り、同じ時間を過ごす。

日常のルーチン化。
最適化が間違っていない限り無駄はないが、日に日に精神はやつれていくし、何のために日々を過ごしているのかと苦しむ羽目になる。

人は一見無駄なものからも、何かを得ているらしい。
では無駄を取り入れた上で、最適化すればどうか。
金曜日はいつもと道を変えて遠回りしてみる。
月に一度は金銭面・健康面を考慮せずに食事をしてみる。

最初の二週間は新鮮かもしれないが、結局は新たなルーチンが生まれてしまう。
得るもののない無駄を内包したルーチンは、あまりにも救いがない。
もはや何のために最適化しているのか分からなくなってしまう。

つまるところ不慮の事態、無作為それ自体が価値を持っている。
最適なルーチンから外れた場所にあり、常に予測がつかないもの。
過剰に取り入れれば最適化が壊れ、管理を試みれば価値がなくなる。
極めて扱いにくいが、なければ人生の面白味が薄れてしまうもの。

最適化した日々の中で、それに遭遇しやすいように行動を選んでいく。
そして無作為の最たるものとは、自分の枠外にいる他者なのかもしれない。
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