Evernoteはweb版の旧デザインを使っている。
先週の水曜(20日)から、中央のノート一覧が表示されない事態に。

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ノートブックを移動しても、全てのノート表示にしても変化はない。これではノートにアクセスできず、全く使い物にならない。
新デザインに切り替えると表示されるものの、このデザインだとノートブック一覧を固定できず使いにくい。
仕方なくこの数日間はWindows版を使っていたが、これも慣れない。web版に比べて動作が重く、いちいちストレスが溜まってしまう。

何とか元の状態で使えないかと調べていると、Chromeで表示にバグが起こるというツイートを見かけた。
試しにFirefoxで開くと、きちんと表示される。やはりChromeとの相性によるものらしい。


Evernoteは第二の脳であり、自己の根幹を成す場所でもある。
現状を百年維持してくれるなら、百年使うつもりではあるが、恐らくそうはいかない。
何の前触れもなく上記のようなトラブルが起こるし、不利な仕様変更もありうる。
自分の場合は旧デザインが使えなくなるだけで、致命傷を受けてしまうわけだし。

単に保管庫として使いたい身からすれば、Evernote社がワークスペースを目指す方針を持っていることも心配。
正直なところ、先行きにかなりの不安を覚えている。

一番困っているのは、Evernoteの代替サービスが見当たらないこと。
Workflowyに対するDynalistのように、Evernoteに対する何かが出てきてくれれば、いざという時に乗り換えられる師、Evernoteの改善も見込める。
とはいえ、今は他に扱いやすい保管庫が見当たらないので、黙って耐えるしかない。

いっそ画像やwebクリップを投げ捨てて、テキストデータだけを扱うようにすれば、選択肢は増えそうではあるが……。

Evernoteを使い始める以前に残したログがある。
中学時代の日記であり、高校時代のブログであり、大学時代のツイート。
これらも自分史の一ページ。検索の網にかかるようにしたいので、暇がある時にはEvernoteに取り込むようにしている。

しかしこの作業、ものすごく進みが悪い。
物理的な手間と時間がかかる上に、中身が目に入るのが辛い。

過去の文章を読み返していると、あまりの稚拙さに目を覆いたくなる。
現在から乖離したログほど新鮮で面白いのは確かだし、当時の興味や感性を再発見することも多いが、それはそれとして触れるのに体力がいる。
暇とモチベーションが有り余っている時にしか進まない作業なので、全てのログを移行するのは現実的ではなさそう。


文章の賞味期限は、だいたい三年が限度だと感じる。

たとえば2010年から今まで続いているTwitterにしても、遡って2014年あたりのツイートはまだ読めるが、2013年以前となると恥ずかしくなってくる。
文体、言葉の選び方、テンションの差。何もかも別人が書いているように見える。

もちろん三年毎に区切りが生じるのではない。グラデーション状に変化していく中で、現在と離れるほど差異が広がっていって、それが一定ラインを超えるのが三年というイメージ。


三年という感覚は、結構前から持っていた。
この頃は2012年あたりのツイートまでは平然と読めた覚えがある。


高校時代にブログを書いていた頃は、十年続けるのだと息巻いていた。
実際は五年目にして閉鎖。Twitterの使い勝手が良すぎたこともあるが、閉じた直接の理由は、昔の文章が見るに堪えなかったから。

仮にTwitterが存在していなかったとしても、十年続けることは難しかったと思う。
十代にとっての五年はあまりにも長い時間で、環境も、趣味も、交友関係も、何もかもが変化していってしまう。そんな中で同じペースを維持できるかというと……。

しかし、賞味期限は徐々に伸びていくのではないかと思っている。
成長や変化が緩やかになり、三年が五年、五年が十年に。
それならば今こそ、今度こそ十年続くブログを書けるのかもしれない。


……と、ブログの話で締めようとしたが、途中で気づいた。
この賞味期限は、文章ではなく人格にかかっているのかもしれない。
三年前の文章に抵抗を覚えるのは、三年前の自分が他人に近いから。

だとすると、変化のスパンが長くなることを素直に受け止めて良いものか。
定着したと喜ぶべきなのか、停滞したと嘆くべきなのか。

7月の記事まとめと、月の振り返り。


梅雨と夏バテで調子を崩し気味の月だった。
前半は相変わらずこのすばに夢中で、現時点で本編8巻まで読了。

21日にスプラトゥーン2が発売してからは、比重がイカに移った。
当初から悩まされている回線落ち問題は、有線にして安定したかと思いきや、相変わらず平日夜は厳しいようでお手上げ状態。
プレイヤーの数がもう少し落ち着くのを待つべきなのかもしれない。

後半は創作熱が高まっていた。久しぶりに二作ほど更新できて満足。
代わりにこのブログはなおざりになっていたが、あまり気にしていない。

12日の記事で触れた、nami2000に残していたログについて。
これは目を通して、必要なデータを現在の環境に移してきた。
最近のEvernoteは、規模の大きいテーマについてはポータルノートを作り、ノートリンクで関連するノートを束ねる方法を取っている。
そもそもポータルノートを見失わないようにする必要はあるが、良い手応えを感じている。

こうして月の終わりにチェックポイントを設けるのは悪くない。
軽く記事を読み返して、追記や補足を入れるスタイルで、今後も続けていこう。

ちょっとした記憶の欠落をログで回復したので、その過程と反省について。



いよいよ今週末にSplatoon2が発売される。
前作はパッケージ版を買って、ディスクの入れ替えにストレスを感じることがあったので、今作はダウンロード版にするつもり。
DL版なら品切れになることがないので、発売直前にでもAmazonで買えば良い。

そう考えていたが、そもそも「既に注文した」ような記憶もある。
二重購入は困るからとAmazonの履歴を確認すると、イカの姿が見当たらない。
購入履歴が嘘をつくことはないから、自分の記憶が間違っている……?

こんな時は自分よりも自分の過去に詳しい、Evernoteの出番。

とりあえずクレジットカードの履歴を確認する。
5月に任天堂に6,458円を支払っており、これはSplatoon2の定価額と同じ。
そういえば「My Nintendo Storeにクレカを登録した」記憶がある。

しかし、わざわざ公式のストアで買ったのが解せない。
日頃の習慣や値段を考えても、Amazonで注文する方が話は早い。
何か追加特典があるのかとストアの商品一覧を見たが、特にそういったものもなさそう。

たった二ヶ月前に起こした行動を読み解けないのも情けない話だが、思い出せないものは仕方がない。納得のいかないところもあるが、既に購入していた事実の確認は取れたので、それで良しとした。


その数日後、任天堂から発送メールが届いた。
Splatoon2(ゲームカードフリー版)という表記が引っかかり、改めて記録を辿ることに。
メールに書かれた注文日(2017/05/18)の日記を読み返すと、ニンテンドーダイレクトの放送日だったらしく、放送を見た後にストアで注文したと書いてある。

「ダイレクト」と「カードフリー版」というキーワードが揃い、ようやく記憶が戻った。

カードフリー版とは、パッケージの中にDLコードが入った代物。遊ぶ分にはDL版にしたいが、物としてパッケージも欲しい需要に応えている。
ダイレクトの日に存在が明かされた、公式ストア限定商品だった。

カードフリー版を注文したことを、二ヶ月ですっかり忘れてしまったのは納得できる。
発表された直後に購入したから、せいぜい一時間程度で話が済んでしまった。
後から記憶や記録で補強されることもなく、日に日に印象が薄れていったと。


即断即決は、時間をかけて考える過程を踏んでいないので、記憶に残りにくい。
また一瞬のことなので、意識していないとログにも残らないことが多い。

今回はまだ日が浅かったので、複数のログからの推測と記憶で何とか解決した。
これがもっと昔に遡ると話は別で、そのものずばりのログが必要になってくる。
意思決定が早い時ほど、動機と結果をきちんと書き残すようにした方が良い。

先日、Evernoteのノート数が4000を突破した。
この親愛すべき第二の脳には、自分が残した全ての記録が保管されている。

……とは限らない。

先日、2014年頃に書いたテキストを探していたが、ノート検索をかけても見つからず。
あちこち探しまわり、Evernote以前に使っていたnami2000の中に見つけた。
他にもEvernoteに移していないデータがいくつか見えて、懐かしく嬉しい反面、これらのデータが完全に意識からこぼれ落ちていたことが恐ろしかった。

Evernoteは随分と昔から使っているように思えるが、本格的に運用を始めたのは2015年末からで、実はまだまだ日が浅い。
当然それ以前に書いた文章や記録は、後から遡って保管するしかない。

たとえばライフログなら、この一年半の間にTwitter(2010年~)、FC2ブログ(2006~)、日記(2006~)を移した。
これでも完全に集約できてはいないが、第二の脳として信頼できる段階にはあった。

Evernoteに検索をかければ、ワンアクションで記録が見つかる素晴らしさ。

ところが先に書いた通り、把握していない取りこぼしが見つかった。
それも大昔のデータではなく、比較的新しいものだった。
今回は第一の脳が記憶していたから掘り起こせたが、もし記憶からも抜け落ちていたら、このデータは意識の外に放逐されていたかもしれない。

Evernoteに記録を集約している自信が、Evernote外の記録への意識を薄れさせている。

対処法は二つ。記録の集約を推し進めるか、意識を分散させるか。
だが記録が複数の場所に分けて保存してある状況は、すっきりしない。
nami2000のテキストには改めて目を通し、Evernoteに取り込む予定でいる。