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今週は天気が崩れ気味だったが、今日は雲一つない晴天。気温は少し下がり、3月にしては肌寒い日だった。
前回の記事を書いた後、そのうち中学校の卒業式の写真も上がってくるだろうと思っていたが、それが今日だった。
(少し違和感があって調べたら写真の日付データが狂っており、実際は今日ではなかった)


いつも「今が人生で一番楽しい」という思いで過ごしているが、相対的に見て中学時代の三年間は特別だった。
今では三年なんてあっという間に過ぎていくが、多感な時期の三年は重みが違う。

一言二言では言い表せない思い出がある。
嫌な記憶や恥ずかしい失態も多々あるが、それを差し引いても輝きは褪せない。
明確な自我を持ったのも、趣味で人と繋がったのも、日記という形でライフログを付け始めたのも、中学生の時だった。
それまでの子供時代と比べても、あそこは人格形成に関わるターニングポイントだった。「今の自分」への出発点といっても過言ではない。

卒業の直前、最後の一週間のことはよく覚えている。教室の窓際で浴びた、春の陽気の手触りまで思い出せる。
あと少しでここを出ていくのだという寂しさは、得たものが多いからこその感情だった。最後まで仲間と楽しく過ごし、景色を記憶に焼き付けようとあがいた。
そしてまたたく間に過ぎ去っていく時間。あの一週間は本当に一瞬の出来事だった。きっと人生で最も儚いひと時だった。

今後あれほど濃密な時を過ごすことは二度とないと思うと、少し寂しい。
ただ、それだけの青春を抱えることができたのは幸せだと思う。
きっとこれからも、思い出は静かに、けれど確かにそこにあり続ける。

年が明けた。ようやく正月の胃もたれから解放され、日常に戻ってきたところである。
以前は12月に入ったあたりから年末年始の雰囲気をゆっくりと味わっていた気がするが、今回は12月が忙しくてそれどころではなかった。
すっかり季節感もなくなり、正月を感じるのも職場の挨拶回りとソシャゲのイベントぐらいになりつつある。

毎年この時期は「一年の振り返り」や「新年の抱負」といった文章を書いていたが、今回は振り返りをツイート一つで済ませ、抱負には触れてもいない。

ブログが役割を終えたことはずっと思っていて、それは何度か復活させようとしては失敗していることからも明らか。
去年の年始めに定めた「週に一度」という外枠を諦めた途端、見事に何も書かなくなった。ブログを習慣にできていない。

しかし、実のところTwitterに対しても、始めた頃とはかなり異なる距離感でいる。
2010年代の前半はTwitterが棲家といっても過言ではなかったが、今はスマートフォンに付随する一つのアプリ程度に収まっている。
かつては思いつきをマシンガンのように呟いたり、フォロワーの反応を考えながら呟く時期もあったが、今は好きなゲームの肯定的な感想のみに絞った。同好の士が検索かけた時に目に入ってほっこりしてくれたら良い、ぐらいの気持ちでいる。
Twitter離れ(見る時間はそう変わっていないので正確にはツイート離れ)が進んだのは、2016年あたりからと自覚している。

インターネットに文章を書く行為から遠ざかっている。
Evernoteにライフログを残し始めたのが2015年末なので、ずっとそれが理由だと考えていた。
わざわざ「ネット上に」赤裸々な話を書く理由がなくなったから。間違ってはいない。

が、もっと根本的な変化ではないか。
ツールが変わった程度の話ではなく、そもそも「裸になりすぎない」ことを覚えたというか。
インターネットに赤裸々に書く行為自体が、初めてブログを作ってからちょうど十年目の2016年頃に、嗜好から外れた。
それまでリアルよりネットの比重が大きかったものが、この時に逆転したのかもしれない。

Twitterの手軽さでも書かなくなったものを、腰を据えてブログで書く気にはならない。
元々自分が書き記すものは、自分の考えとして記録しておきたいものが主であり、人に訴えかけるものではない。
「自分はこういう人間だ」と書きたいもの、要するに自分語りが多いので、服を着るようになったら何も書くことがなくなる。

2006年にブログを作ってからTwitterに至るまで、そこは常に自分語りの場だった。
インターネット上で誰かと語り合おうとか、同好の士を見つけようとか、そういう動機は限りなく薄かった。

そんな思春期から20代前半まで続いた、自分語りのフェーズが終わった。いつの間にか終わっていた。
そこまで断定しなくとも良いか。「ピークを過ぎていた」ぐらいにしておこう。

その理由は環境もあるかもしれないが、きっと年齢が一番なのだろう。
20代最後の年を迎えた今、ようやくそのことに気づいて、久しぶりに長々と書いてしまった。

11月に入って早々、スマブラダイレクトをぶつけられて、すっかり発売が楽しみになった今日この頃。
3DS版もいまいち遊びきれなかったので、今回はサントラのつもりで買おうと思っていたが、やはりスマブラは宣伝上手、盛り上げ上手である。

先日のNintendo Liveにおいて「来年でスマブラ20周年」と語られていたので、初代は1999年発売か。あの頃は発売したばかりのゲームをすぐに買ってもらえることは稀だったので、実際に遊んでいたのは2000年頃。
初代の頃は小学生だったので、近所の友達で集まって遊ぶことが多く、そこの平均よりは強かったので楽しかった。CP相手の一人遊びも結構していたが、キャラ数ステージ数が少なすぎて、限界はあった。
DXで一気にボリューミーになったが、これは一人遊びがメインだった。据置のゲームはこれを最後にしばらく離れ、WiiUのスプラトゥーンで復帰することになる。
だからXは遊んでいない。2000年代後半はほとんどゲームをしていなかったので、今になってXの参戦キャラやステージ、音楽を見てもピンとこない。
forは久しぶりにと思って3DS版を買ったのだが、不思議なぐらいに印象が薄い。参戦キャラ発表では盛り上がったし、体験版で4キャラ選べたのは覚えているが、購入後の記憶が曖昧。


基本的に対戦ゲームとの折り合いが悪い。(参考:対戦ゲームが苦手な話
一人用モードやスピリッツの取集を頑張る予定だが、実際はお金を稼ぐために大乱闘もやることになるのだとは思う。これもナワバリバトルみたいなものと考えて、あまり根を詰めずにやりたいところ。
さすがにマリオカートやARMSほど、対戦しかないというわけではないし。もう全ての対戦ゲームにサーモンラン付けてほしい。

一番心配なのは回線かな。スプラトゥーン2も発売後二ヶ月はまともに遊べなかった。自分の回線が弱いのかもしれないが、その後は全く問題がないので、プレイヤーが多い時期が合わないのかも。
オンラインが有料化しているから、スプラトゥーンの時ほど酷いことにはならないだろう……と楽観的に考えておく。

自分のことが好きか嫌いかと聞かれたら大好きと答える。
自己否定を口にする時もどこか酔っている節があるので、そういうところは直したい(と冷静に見ている自分も好きだから始末に負えない)。

真面目な話、私は自分の主観・価値観を通して世界に存在しているのだから、私が自分を肯定しないと何も始まらない。
人が常に自分の味方になってくれる保証はないし、人は誰も代わりになってくれない。

この自己肯定感がいつ頃から芽生えたのかが気になったので、記憶を思い起こしてみる。


記憶を辿れるのは幼稚園時代まで。
とても内向的な子供だったので、幼稚園に行きたくなくて毎朝泣いていた。別に先生が嫌いなわけではなかったはずだが、幼稚園に行かなければならないことがストレスだった。
単純に家から出たくなかっただけかもしれない。そんな園児の頃から引きこもり体質だったなんて。

そして幼稚園のかけっこではいつもドベ(最下位)だった。
この原因は今でもよく分かっていないが、人に譲る気持ちが強すぎたというか、自分が勝つという概念を持っていなかったように思う。
小学一年生の運動会では、親に言われたのだったか、思いっきり走ってみた。すると結果は6人中の3位で、何だこんなものかと拍子抜けした覚えがある。
細かく覚えている通り、この結果は自分にとっては破格の出来事で。やればできるんじゃないか、と大いに自信を付けることになった。走ることに苦手意識がないのは、この体験が大きいのかも。

自分の個性や強みが分かってきたのは、小学生の後半。
小学高学年の頃に、ピアノでちょっと良い結果を連続で出したことがあった。小さな小さなコンクールだったが、表彰台の一番高いところに立てた。
吹奏楽を始めたのもこの時期。クラスの男子とは違う強みを持っているのだ、と変な自信を付けていた。

今の性質が完成したのは中学時代で間違いない。
家族や近所やクラスとは全く別の、部活動という新しいカテゴリにおいて、初めて会う一つ二つ上の先輩たちに歓迎され受け入れられたのは、計り知れないほど大きな出来事だった。もちろん煩わしいことも多かったが、初めて「趣味を同じくする人間関係の楽しさ」を味わった。
勉強の方も絶好調だったので、十代特有の万能感も相まって、人生で最も自信に満ちていた時期。

その後はわりとろくでもない展開が続いて、自分の弱みを嫌というほど思い知った。
しかし中学時代に培った自己肯定感をベースに、騙しだまし進んで現在に至る。

もしあの時期がなかったら、今の自分はまた違う形をしていたかもしれない。
自分のことを好きにならなければ、記録を付けることも、こうして後から振り返ることもしなかったはずなので。

高校時代にブログを書いていた。
内容は日常の出来事、自分なりの考え、趣味の話、愚痴、詩、エトセトラ。
受験期までは毎日更新していた覚えがあるし、一日に数回更新する日もあった。

よくそれだけの手間をかけたし、それだけの時間があったものだと感心する。
当時、ブログ更新を苦しく思った記憶は、あまりない。これは「高校生活がそんなに楽しくなかったから」という身も蓋もない事情があるように思う。
何かと不満を抱えている時の方が、文章を書きたくなるもので。
高校での生活は良くはなかったが、ブログを更新していた高校時代は悪くなかった。


そのブログも、高校を卒業して二年後に閉じてしまった。
閉鎖前にローカル環境に保存はしたものの、当時のやり方がまずかったのか、簡単に開ける形式ではない。手軽に記事を探したり、読み返すことはできない状態となっている。

ブログ最大の弊害は、この時期の日記が丸々抜けてしまっていることに尽きる。
中学時代にはWordで日記を書いていたが、高校時代はブログが日記代わりだった。
ブログを閉じた後はTwitterもあるし、日記をつける習慣を復活させている。

デジタルの日記をEvernoteに移して並べると、ブログ時代がすっぽり抜けてしまっている。
失われた五年の空白期。Evernoteには一切データがないし、幼少期のような印象に残る記憶もない。特に何も存在しなかった時期。


しかしブログのデータは残っているのだから、この一時期だけ抜けているのも面白くない。
苦労の末にデータをEvernoteに移す手順を固めて、気が向いた時に少しずつ移している。
当時の自分が精魂込めて残したのは1277記事。全て移すのは現実的なことではないが。

この移行作業を通して、ようやく当時のブログ記事に目を通す機会を得た。

特に何も印象に残らない空白の五年間……そんなわけがなかった。
過去の自分が残した文章は、稚拙で痛々しいけれど、生の感情を伝えてくる。
この五年間もちゃんと生きていたんだと、当たり前のことに気づく。

十代後半の多感な頃に、思いつく限りのことを書いて残している。
今になってみれば貴重だし、あれだけ手間と時間をかけた甲斐があったというもの。

単なる過去の振り返りには留まらない。
Evernote上で、十年前に書いた日記と、今日書いた日記が並んでいる。
その様子を見て、全部つながっているのだと感動してしまった。

人に歴史あり。今ここにいる自分は、急に降って湧いた存在ではない。
しょうもないことに笑って泣いて、その時その時を生きてきて。
地続きの最先端に今の自分が立っている。それは誰にも否定できない。

当時の自分は先のことなど考えず、当時を生きるためにブログを書いていただけ。
それが時を経て、今の自分を肯定してくれたように感じられた。
何のためにログを残すのか。また一つ答えを見つけたかもしれない。