自分のことが好きか嫌いかと聞かれたら大好きと答える。
自己否定を口にする時もどこか酔っている節があるので、そういうところは直したい(と冷静に見ている自分も好きだから始末に負えない)。

真面目な話、私は自分の主観・価値観を通して世界に存在しているのだから、私が自分を肯定しないと何も始まらない。
人が常に自分の味方になってくれる保証はないし、人は誰も代わりになってくれない。

この自己肯定感がいつ頃から芽生えたのかが気になったので、記憶を思い起こしてみる。


記憶を辿れるのは幼稚園時代まで。
とても内向的な子供だったので、幼稚園に行きたくなくて毎朝泣いていた。別に先生が嫌いなわけではなかったはずだが、幼稚園に行かなければならないことがストレスだった。
単純に家から出たくなかっただけかもしれない。そんな園児の頃から引きこもり体質だったなんて。

そして幼稚園のかけっこではいつもドベ(最下位)だった。
この原因は今でもよく分かっていないが、人に譲る気持ちが強すぎたというか、自分が勝つという概念を持っていなかったように思う。
小学一年生の運動会では、親に言われたのだったか、思いっきり走ってみた。すると結果は6人中の3位で、何だこんなものかと拍子抜けした覚えがある。
細かく覚えている通り、この結果は自分にとっては破格の出来事で。やればできるんじゃないか、と大いに自信を付けることになった。走ることに苦手意識がないのは、この体験が大きいのかも。

自分の個性や強みが分かってきたのは、小学生の後半。
小学高学年の頃に、ピアノでちょっと良い結果を連続で出したことがあった。小さな小さなコンクールだったが、表彰台の一番高いところに立てた。
吹奏楽を始めたのもこの時期。クラスの男子とは違う強みを持っているのだ、と変な自信を付けていた。

今の性質が完成したのは中学時代で間違いない。
家族や近所やクラスとは全く別の、部活動という新しいカテゴリにおいて、初めて会う一つ二つ上の先輩たちに歓迎され受け入れられたのは、計り知れないほど大きな出来事だった。もちろん煩わしいことも多かったが、初めて「趣味を同じくする人間関係の楽しさ」を味わった。
勉強の方も絶好調だったので、十代特有の万能感も相まって、人生で最も自信に満ちていた時期。

その後はわりとろくでもない展開が続いて、自分の弱みを嫌というほど思い知った。
しかし中学時代に培った自己肯定感をベースに、騙しだまし進んで現在に至る。

もしあの時期がなかったら、今の自分はまた違う形をしていたかもしれない。
自分のことを好きにならなければ、記録を付けることも、こうして後から振り返ることもしなかったはずなので。

ながらハクスラの需要

二の丸

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