2010年代における、僕のネット生活の拠点はTwitterだった。
まだ2018年と2019年が残ってはいるが、きっと変わりはない(願望込み)。

しかしもっと先を考えた時、2020年代にTwitterが存続しているかと考えると、少々怪しいところがある。人がいなくなるのが先か、サービスがなくなるのが先かは分からないが、いずれTwitterは消失する時が来る。
代替サービスが出てくることを切望しているが、それはそれとして。

今ここにあるブログを拠点として再構築しておきたいと考えている。
去年の10月にも心機一転と題して連々と書いているが、結局あまり活用できていない。



【このブログの歴史】

2006
当時持っていた日記ブログの別館として開設。趣味の話を書いていた。
ブログ名を現在の「九条河原の落書」に変更。
本館に書きにくいことやゲームのプレイ日記を置いていた。

2009
この頃からゲームのプレイ日記を書くブログに。MHの存在が大きい。

2010
Twitterを始める。本館を閉鎖。

2011
プレイ日記に加えて、創作物を置くようになる。

2014
創作物を九条河原の裏書に分離。
ゲームの話もTwitterで事足りるようになってくる。

2016
Evernoteの本格運用開始。
ゲームのプレイ記録をログとして私的に残すようになり、ブログに書くことがなくなる。
過去記事をEvernoteに保存して非公開に。今後の方針を定める。



こうして見るとTwitterとEvernoteがそれぞれブログへの打撃になっているのだなと。
もちろん実生活やネット社会の環境変化も、大いに影響している。

今後は2016年に立てた方針を、基本的には引き継いでいく。
あの時点ではまだTwitterとの二本柱として形を作ると考えていたが、今後は「外」の拠点はブログにする。そう言い切ってしまう。
ちなみに「内」の拠点は当然Evernoteで、ブログやTwitterのログを全て格納していくことは今後も変わらない。本土と前線基地のような関係。

ログを取るのはEvernoteで充分。わざわざ外の拠点を設ける意義としては……。
1.考えを長文にまとめる行為自体が自分との対話になる。
2.散発的な一言日記やツイートよりも、ログとしての価値が高くなる。
このあたりになるか。愛着のあるブログを活かしたいのが一番の理由かも。

Scrapboxを、前回からまたしばらく使ってみた。

とにかくリンクとタグによるページ同士の関連付けが一番の特長で、これは保管庫にもワークスペースにも極めて有用である。
ただし僕の場合、ワークスペースはWorkflowyで間に合っており、新たな道具が増えると逆に煩雑になる。保管庫としての運用を考えてみる。

リンクとタグで関連性のある記事を自在に繋げることができる。
この機能がEvernoteやブログやTwitterに実装されていれば、どんなに便利で楽しいだろうか。

検索で引っ張り出せるとはいえ、どうしても昔のページは埋もれやすい。ページの総数が増えるほど、この問題に頭を悩ませることになる。
自分が蓄積してきたデータ全てをScrapboxの文脈で処理できたら夢のよう。
とはいえ、あまりにも手間がかかりすぎるし、編集途中のデータが複数の場所に存在すると競合しかねない。

既に使っている道具とは被らない範囲で、Scrapboxを保管庫として使いたい。
そこで思いついたのが、物語の設定集として扱う方法である。


互いに関連付けられたページを次々と飛んでいくだけで楽しいし、そこから新しい着想を得て、新たに書き加えたり更新したりすることもできる。保管庫でありながらワークスペース的な運用が入ってくる。

ここで「更新され続ける保管庫」という言葉を思いついた時、Scrapboxと仲良くやっていけそうだと確信した。
画像がないと見た目の楽しさが半減するのは惜しいところだが、そのうち改善されることを期待したい。

仲良くなれたついでに、ブログとの兼ね合いも再検討してみた。
前回はScrapboxとブログを下書と清書の関係で考えていたが、いっそ内容が同じコピーを作ってみる。
こちらは純粋な保管庫としてのみの運用で、ブログをScrapboxの文法で捉えてみたいだけのプロジェクト。


手間に見合うかの判断は未来の自分に任せる。


一つの道具の特長を吟味して、使うならどのように使うのかを考えて、さらに今まで使っていた道具の扱い方にも見直しが入って。実に大きな波だった。下手を打てば今まで順調に航海していた船の底に穴が開くところだった。
けれどたまには波を被って、積もった埃を洗い流すべきなのかもしれない。そう思えるほどにScrapboxのテーマは面白かった。

雑記や思考を熟成する場(プレ・ブログ)として考えているが、見通しが立たない。
触り始めて数日で何を言っているのかという話だが。

現時点で抱えている問題を具体的に挙げる。
・時系列の概念をどうしても捨てきれない。ブログもTwitterもEvernoteもこの概念に基づいている。どう整合性を取るか。
・Evernoteから離れた場所にデータを蓄積するのが恐ろしく、思うようにページを増やせない。
・画像を添付しないと視認性が悪い。用意する手間、著作権の問題。

このうち上の二つは、創作と同じ方法を使うことで解決した。
Evernoteに一つノートを用意して、日付順に思いつきを羅列していく。
その内容をWorkflowyやScrapboxにコピーして、編集する。
何かが形になれば、ブログ等にアウトプットして、記事は再びEvernoteに格納する。

スタートとゴールをEvernoteに紐づけることで、Scrapboxが断絶することはなくなる。
ただ、そこまで考えるとWorkflowyで充分とも思える。結論を出すのが早すぎるかもしれないが。


部品の扱いがWorkflowyで充分なら、いっそ完成品を置くのはどうかと思いつく。
ブログやEvernoteから、関連付けが威力を発揮しそうなモノを抜き出してくる。

ScrapboxはWikiなのだから、Wikiとして使えば間違いはない。
たとえば書いたきりになっている創作の設定文を置けば、Scrapboxが自分専用創作Wikiとして機能しないか。
まだ画像の問題は解決していないが、今までの考えよりは上手くいきそうな気がしている。

ひとまず「プレ九条河原の落書」「創作設定集」の二本立てで進めてみる。

#Scrapbox

このブログの在り方を考え直す時にある。


元々このブログは、趣味に関する記事を書き散らす場所として機能し、特にゲームのプレイ日記を数多く掲載してきた。

しかし瞬間的な感想には手軽で気楽なTwitterがあり、込み入ったログに関してはEvernoteに細かく残すようになったので、このブログの存在意義が分からなくなってきた。



閉鎖については考えていない。

いざという時に文章を書ける場所は保持しておきたいし、今年で10周年(!)を迎えるこのブログに愛着だってある。


しかし朽ち果てたまま放置するのではなく、今になって復権を考え始めた理由は、別にある。

以前、長文でゲームの感想を書いている時に、上手く文が続かない感覚があった。どうやら自分だけが読む自分のための文章に浸りすぎて、他者の視線に耐えうる文章を書けなくなっているらしい。

書けないよりは書けた方が良い。よって「リハビリ」が最大の目的になる。


 

ネット上に日記を書くだけで楽しかったあの頃から、もう10年が経った。

今あえてネット上に文章を書く意味は、他者に読まれる(可能性がある)という一点のみ。

そこに必要なのは個人の細やかなプレイログではなく、総括的な感想だと思う。

 

たまにTwitterに収まらない長文で感想を述べる時に、Privatterを使うことがある。

本来ブログに書かれるべきだったものをPrivatterに投稿したのは、その方がTwitterとの連携がしやすかったという理由があるが、とにかくPrivatterに過去投稿した文章が以下の通り。


新世界樹2感想/全体公開2014-12-27 17:31:11

2015年を振り返る/全体公開2015-12-31 21:45:10

逆転裁判6感想(ネタバレあり)/全体公開2016-07-16 14:05:00

世界樹5の感想と考察(ネタバレあり)/全体公開2016-08-10 21:14:50


つまり直近の二年間でブログを恋しく思えたのは、わずかに4回のみ……ということになる。

この数字がこれから劇的に増えるとも思えない。思えないが、ゼロでないこともたしか。


今後はもう少しだけ九条河原の落書のことを気にして、広告を被ってしまわないように、適度に文章を書いていきたい。

twitterとは両輪で互いに補い合える形に持っていくのが理想だが、そこまで上手くいくかどうか。